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【インタビュー連載】ストリーミングで出会うマスターピース 第3回:野呂一生(CASIOPEA-P4)

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 ストリーミングを通して、世代や国境を越えた新たなリスナーとの出会いを経験するアーティストにお話を伺う連載「ストリーミングで出会うマスターピース」。第3回となる今回は、カシオペア(現CASIOPEA-P4)のギタリスト/メインコンポーザーの野呂一生さんをお迎えしました。

 1979年のデビュー以来、約45年に渡ってフュージョンシーンを牽引し続けるカシオペア。卓越した演奏テクニックに裏打ちされたバンドサウンド、キャッチーなメロディを軸にした音楽性は、世界的に評価されています。

 フュージョン、シティポップ再評価の潮流とともに、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど幅広い地域でリスナーを獲得。特にデビューアルバム『CASIOPEA』(1979年)、ライブ録音によるアルバム『MINT JAMS』(1982年)の収録曲は高い人気を得ています。80年代の楽曲が時代を越えて聴き継がれている現状、当時の制作エピソードなどについて野呂さんに語っていただきました。

【カシオペア(CASIOPEA)のSpotifyでの人気曲】

1.タイム・リミット(1stアルバム『CASIOPEA』収録)

2.テイク・ミー – Live at Chuo Kaikan Hall, Tokyo, Feb. 1982(ライブアルバム『MINT JAMS』収録)

3.ダズリング(9thアルバム『PHOTOGRAPHS』収録)

4.ティアーズ・オブ・ザ・スター(アルバム『CASIOPEA』収録)

5.ミッドナイト・ランデブー(アルバム『CASIOPEA』収録)

6.スワロー(アルバム『CASIOPEA』収録)

7.朝焼け – Live at Chuo Kaikan Hall, Tokyo, Feb. 1982(アルバム『MINT JAMS』収録)

8.スペース・ロード(アルバム『CASIOPEA』収録)

9.ドミノ・ライン – Live at Chuo Kaikan Hall, Tokyo, Feb. 1982(アルバム『MINT JAMS』収録)

10.ミッドナイト・ランデブー – Live at Chuo Kaikan Hall, Tokyo, Feb. 1982(アルバム『MINT JAMS』収録)

※2023年11月時点

現在も高い人気を誇る豪華メンバーが集結したデビュー作

野呂:どちらも随分昔のアルバムなんですが、今になって海外のみなさんに聴いていただけているのはすごくうれしいですね。Spotifyなどのストリーミングサービスによって、これまでカシオペアを知らなかった年齢層の人たちにも届いているのかなと。YouTubeなどで海外の若いミュージシャンが自分たちの楽曲を演奏している映像を目にすることもありますが、みなさん本当に上手いんですよ。アルバムの発売当時は海外に届けることが難しかったので、時代が変わったんだなと実感しています。

――アルバム『CASIOPEA』からは「タイム・リミット」「ティアーズ・オブ・ザ・スター」「ミッドナイト・ランデブー」などが人気曲トップ10に入っています。カシオペアのデビュー作であり、原点と言える作品ですね。

野呂:結成からの2年間ずっとライブ活動を続けて、それまでの集大成のような形で制作したアルバムですね。当時はレコードを出すことの敷居がすごく高かったんです。今は自宅で録ることもできますが、70年代後半はそうではなく、レコード会社と契約するしかなかったので。しかもアルバム『CASIOPEA』は、当時の最新機器が用意されているスタジオで録音したんですよ。ベーシックは“せーの”で録るんですが、やり直したい部分だけをバラバラに録ることもできるようになり、「なんて便利なんだろう」と思いましたね(笑)。さらにレコーディングエンジニアがアル・シュミットさん(Steely Dan『AJA』、TOTO『IV(聖なる剣)』などの名盤の録音を手がけた伝説的エンジニア)という大御所。デビュー当初の自分たちにとっては、夢のような出来事でした。

――Brecker Brothers、デイヴィッド・サンボーンという世界トップのホーンセクションも参加。豪華なメンバーです。

野呂:そうなんです。じつは当時のレコード会社の担当者が、「深町純&ニューヨーク・オールスターズ・ライブ」(作曲家、キーボード奏者の深町純がBrecker Brothers、デイビッド・サンボーン、アンソニー・ジャクソン、スティーヴ・ガッドなどとともに録音したライブアルバム)も担当していたんですよ。カシオペアのメンバーで録音したマルチテープを深町さんにお渡しして、ニューヨークでBrecker Brothers、デイヴィッド・サンボーンにダビングしてもらって。戻ってきたテープを聴いて「すごいことになったな」と驚きました。


目指したのは“聴いた瞬間に覚えられるような曲”

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――演奏の素晴らしさはもちろん、キャッチーなメロディもアルバム『CASIOPEA』の魅力。フュージョンやジャズになじみがないリスナーにも届いた要因でもあると思います。

野呂:インスト音楽をやるのであれば、聴いた瞬間に覚えられるような曲にしたいと思っていました。アルバム『CASIOPEA』はその最初の試みでしたね。まだ20代前半でしたし、音楽理論的にもテクニック的にもずば抜けたものはなくて。それをカバーするためにも覚えやすい曲をやるべきだろうと。今振り返ってみると、「よくがんばったな」と思いますね。レコーディングの前にたくさん練習して、納得いくまで録り直して。入念に練り込んだテイクばかりだし、当時の自分たちのマキシマムを込められたんじゃないかなと。

――そしてアルバム『MINT JAMS』からは「テイク・ミー」「朝焼け」「ドミノ・ライン」などがランクインしています。

野呂:『MINT JAMS』はライブ録音ですね。ヨーロッパでのディストリビューションの担当者がカシオペアのライブを気に入ってくれて、「ライブの迫力を感じられるスタジオ盤を作れないか」というリクエストをもらったんです。銀座の中央会館(現・銀座ブロッサム中央会館)でお客さんを入れてライブをやって、当時の最先端の機材で録って。完全に一発録りですね。歓声や手拍子は入れないようにしていたんですが、たとえば「ミッドナイト・ランデブー」のブレイクの部分の歓声は取り除けなくて、そのまま入っています。

――ライブの臨場感が感じられる素晴らしいテイクばかりですよね。ギターのイントロが印象的な「朝焼け」は、日本でも高い人気を得ています。

野呂:いまだにライブでやっていますが、どうして人気なのか自分ではわからないですね(笑)。「朝焼け」は18歳くらいのときに作った曲なんです。ソウル、ディスコのギタリストがやっているようなカッティングをやってみたいと思ったのがきっかけですね。

海外での体験が変化させた価値観

――人気曲トップ10の3位に入っている「ダズリング」は、アルバム『PHOTOGRAPHS』(1983年)の収録曲です。

野呂:その前に予定していたレコーディングが延期になって、「メンバーそれぞれ海外旅行をしよう」ということになったんですよ。僕はインド、他のメンバーはブラジル、ヨーロッパ、ニューヨークを回ったんですけど、自分のなかで価値観がかなり変わったんです。旅の中のさまざまな経験を重ねるなかで、「自分はこうだ」とはっきり示さないといけないと思うようになって。音楽的にも「自分がいいと思うことをやろう」という確かな意志が出てきたんじゃないかなと。メンバーそれぞれが海外でいろいろな体験をして、それを持ち寄って作ったのが『PHOTOGRAPHS』なんですよね。

――「ダズリング」にはスキャットが入っていますが、どなたが歌っているんですか?

野呂:全部、僕が歌っています。もちろん何度も録り直しているんですが、小学生の頃は合唱部でしたし、ハーモナイズされた声も体験しているんですよ。「ダズリング」はその発展形かもしれないですね。

――アレンジにはファンクの要素も反映されています。ライブ映えする曲にしたいという意識もあったのでしょうか?

野呂:踊りたくなるような曲にしたいというのはありましたね。そういう意味では、限りなくディスコバンドに近かったかもしれない。楽しそうに演奏することも最初から意識していましたね。難しいフレーズを弾くときも、ニコニコしてやるとか(笑)。

――カシオペアは80年代から海外でのライブも積極的に行ってきました。

野呂:『JIVE JIVE』というアルバムをロンドンで録ったり、海外に行く機会は確かに多かったですね。ヨーロッパツアーで歯が痛くなってしまって、現地の歯医者で応急処置してもらったり、いろいろな思い出があります。海外の観客はとにかく当時からレスポンスがすごかったんですよ。オーバーアクションだし、すごく大きな歓声をくれて、「本当に喜んでくれてるんだな」と伝わってきて。オーディエンスのテンションにこっちが乗せられることも多かったですね。

海外の若い世代から支持 新しいバンドを「初めて見つけた」感覚なのかも

――カシオペアのブレイクをきっかけに、日本初のフュージョンブームが起きました。インスト音楽が多くの音楽リスナーに共有されたことは前代未聞でしたが、野呂さんは当時の状況をどう捉えていますか?

野呂:やっと市民権を得たのかなと思っていましたね。それからしばらく経って、下の世代のプロのミュージシャンに「カシオペアを聴いて、楽器の練習をしてきました」という人と出会うようになって。影響を与えたかどうかはわかりませんが、やっぱりうれしいですよね。

――現在もアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなど世界各国で人気を得ています。アメリカでは27歳以下のリスナーが6割、34歳以下が8割と若いリスナーに支持されているのも特徴的です。

野呂:カシオペアがデビューした頃、まだ生まれていなかった人たちにとっては新しいバンドを「初めて見つけた」という感覚なのかもしれないですね。いろいろなジャンルが行ったり戻ったりしているので、フュージョンの波が来たのかなと。

――シティポップの流れでカシオペアを聴く人も増えているようです。

野呂:そこはもう自由に聴いていただければ。昔からそうなんですが、歌がない音楽だからこそ、いろいろな場面で聴いてもらえると思っているんですよ。ドライブのBGMでもいいし、こちらとしてはどういう聴き方をしてもらってもうれしいので。

いつでも“少年の心を忘れずに”

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――カシオペアは昨年からCASIOPEA-P4として活動をスタートさせました。常に変化を繰り返しながら活動を継続している印象もあります。

野呂:自分としてはいつも新しい音楽を作っていきたいという気持ちで続けています。カシオペアは45年目を迎えましたが、今も“少年の心を忘れずに”という感じですね。今は新メンバーの今井義頼(Dr)を迎えて、新たな体制で活動を行っています。新譜(『NEW TOPICS』2022年)も出ているので、ぜひそちらも聴いていただければなと。

――今井さんは30代。カシオペア結成時には生まれていなかった世代ですね。

野呂:そういうことですね(笑)。テクニックもすごいし、自分たちの世代とはプレイスタイルが違うなと感じることもありますね。「昔は誰もこんな演奏してなかったぞ」というフレーズがけっこう出てきて、それが面白いんですよ。

――野呂さんご自身はストリーミングサービスをどのように使われていますか?

野呂:資料として聴きたい作品を探すこともあるし、今、一押しの新譜をチェックすることもあります。本当に便利な時代になったと感じる一方、リスナーとしては「しっかり音楽を聴きたい」と思うこともあって。

――ストリーミングの浸透と同時に、アナログレコードも引き続き人気となっていますし、音楽の聴かれ方の幅は広がりを見せています。昨年、カシオペアも『CASIOPEA』『MINT JAMS』のアナログ盤をリリースしました。

野呂:アナログ盤の良さもありますからね。あとはやっぱり生のライブですよね。音源とは違うアレンジを楽しめるのもライブの醍醐味だと思うので、機会があればぜひカシオペアのライブにも足を運んでいただけたらと思います。

【連載バックナンバー】ストリーミングで出会うマスターピース

【インタビュー連載】ストリーミングで出会うマスターピース 第2回:菊池桃子

菊池桃子

 1984年にシングル「青春のいじわる」で歌手デビューした菊池桃子さん。「雪にかいたLOVE LETTER」「卒業-GRADUATION-」「もう逢えないかもしれない」などのヒット曲を生み出し、80年代を代表するアイドルとして高い人気を得ました。

 2021年7月のストリーミング配信後は、シティポップ再評価の潮流とともにアメリカ、中南米、アジアなどでリスナーを獲得。インドネシア出身のシンガーRainychがカバーした「Blind Curve」、Night Tempoがリエディットした「Night Cruising」など、各アルバムに収められた隠れた名曲にも再びスポットが当たっています。

 今回のインタビューでは、Spotifyで人気の菊池桃子さんの楽曲10曲を参考にしながら、80年代の楽曲が注目を集めている現状、当時の制作エピソード、シティポップムーブメントに対する思いなどについてご本人に語っていただきました。

【菊池桃子さんのSpotifyでの人気曲】

1.Mystical Composer(3rdアルバム『ADVENTURE』収録)
2.Blind Curve(1stアルバム『OCEAN SIDE』収録)
3.ガラスの草原(12thシングル表題曲)
4.​​卒業-GRADUATION-(4thシングル表題曲/2ndアルバム『TROPIC of CAPRICORN』収録)
5.Ocean Side(『OCEAN SIDE』収録)
6.Adventure(『ADVENTURE』収録)
7.Night Cruising(『ADVENTURE』収録)
8.もう逢えないかもしれない(6thシングル表題曲/『ADVENTURE』収録)
9.夏色片想い(8thシングル表題曲/『卒業記念 Vol.2』収録)
10.Overture(『ADVENTURE』収録)
※2023年9月時点


思わぬところで耳にした「Mystical Composer」のベースライン

——2021年7月のストリーミング配信以降、菊池さんの楽曲が世界中のリスナーに聴かれています。この状況をどう見ていますか?

菊池:80年代、あの当時に人気だった曲はシングルが多かったんです。ストリーミングでは「もしかしたら日本では、あまり知られていないかもしれないな」というアルバムの収録曲も聴いていただけていることが嬉しいですね。一人ひとりが好みの音楽を探すことができるのは、今の時代ならではだなと感じています。もし80年代にインターネットがあれば、目立たなかった楽曲も評価していただけたのかなと、欲張りなことを考えてしまいますね(笑)。

——国別のリスニングデータを確認したところ、アメリカが突出していて、ブラジルやメキシコなどの中南米でもよく聴かれています。アルバムでは3rdアルバム『ADVENTURE』(1986年)、1stアルバム『OCEAN SIDE』(1984年)の楽曲が特に人気がありますね。

菊池:いちばん人気がある「Mystical Composer」は、印象に残っている出来事があるんです。2年ほど前、大学生の娘が英語学習のテレビ番組を見ていて。そのなかに「SNSの流行りの言葉を使って映画を学ぼう」というコーナーがあったんですが、突然「Mystical Composer」のイントロのベースラインが聴こえてきたんです。14~15歳くらいの男の子がベースを弾きながら「この曲、好きなんだよ」と言っていて。私も大好きなベースラインなのですが、そのとき「え、何が起きているの?」と思いました(笑)。そのくらいの時期から私のInstagramに海外の方からもメッセージがくるようになって。「いい曲ですね」「あなたの声が好きです」という内容なんですが、多くが10代後半から20代半ばくらいの若い方だったんです。その後“シティポップブーム”という文脈で私の音楽を聴いてくれている方がいることを知りました。

——インドネシア出身のシンガーRainychさんが「Blind Curve」をカバー。さらにNight Tempoさんによる菊池さんの楽曲のリエディットも話題を集めました。

菊池:Rainychさんがカバーしてくださったことは、本当に嬉しかったです。シングル曲ではないですし、日本でもあまり知られていない曲を取り上げていただけたことで、「こんな曲もあったんだ」と新しいインパクトとともに受け取ってもらえたんじゃないかなと思います。コンポーザーの林哲司先生も「なんでこの曲?」とすごく驚いていらっしゃいました。Night Tempoさんのリエディットも興味深かったです。母国語が違うNight Tempoさんが歌を素材として使ってくださって、原曲とは違う新しい形にしてくれました。それぞれの楽曲がお化粧直ししたかのようで、すごく面白いなと思っています。

——日本語の響きを活かしたリエディットですよね。

菊池:そうですね。林先生が作ってくださったメロディに日本語を乗せることで、浮遊感が生まれるみたいで。それが海外のリスナーのみなさんの興味を引いているのかもしれないし、シティポップの良さにつながっているのかなと。日本語って神秘的な響きを持っているのかもしれませんね。

当時目指していたのは「ファンの方々が大人になっても、そばに置いておける音楽」

——80年代の菊池さんの音楽活動は、作曲家の林哲司さんの楽曲、事務所の代表だった藤田浩一さんのプロデュースが両軸になっていました。当時の制作状況をどんなふうに捉えていましたか?

菊池:杉山清貴さんと丸ごと同じスタッフでデビューさせていただきました。杉山清貴&オメガトライブはヒット曲を次々に作っていて、本当にカッコいいチームでした。当時はまだ中学生でしたけど、「このなかで歌わせてもらえるんだな」と嬉しく思っていたし、幸せでした。

——最初にレコーディングしたのは「青春のいじわる」なんですか?

菊池:いえ、いちばん最初は他のアーティストの方の楽曲だったと思います。いろいろなタイプの楽曲を歌わせてもらって、どんな声で歌えばいいか、どんなリズムが合うのかを試していたんです。自分としては「高い声を使ったほうがアタックが強く出せるな」と思っていたんですけど、プロデューサーの藤田さんに「それは商売向きの声じゃないね」と言われたんですよ。それで地声に近い声で歌うことになって、最初は「息の成分が入りすぎるし、ちょっと歌いづらいな」と思っていました(笑)。

——楽曲に関してはどんな印象がありましたか?

菊池:とにかくカッコいいなと思ってましたね。私はちょっとオマセな子どもだったというか、4つ年上の兄が好きだった洋楽を一緒に聴いていたんです。あと5歳のときからピアノを習っていて、そのなかに絶対音感みたいなものを鍛えるトレーニングがあって。小学3年生くらいになると、聴こえてくる音の音階が分かるようになってきたんです。そうすると練習している曲以外の曲も弾きたくなって。最初に耳コピしたのが、Eagles「Hotel California」だったんですよ。小3にしては渋いですけど(笑)、そういうカッコいい音楽に憧れていたんでしょうね。だから、林先生に作っていただける曲も、すごくいいなと思っていました。

——林さんの楽曲のどんなところに惹かれていたんでしょうか?

菊池:コード進行、メロディもそうなんですけど、切ないところがいちばん好きなところかもしれないですね。歌っていても気持ちがいいんです。ただ、素晴らしい曲だからこそ、音を外したときにはかなり落ち込みました。「声ってなんて厄介な楽器なんだろう」と思っていましたし、私がロボットで正確に歌えたらどんなにいいのだろうとも思いましたね(笑)。

——リズムの良さも海外のリスナーを惹きつける要因だと思いますが、歌のリズムも意識していましたか?

菊池:とても意識していました。譜面を見て歌っていたのですが、譜面上に譜割りを書いて、音程はもちろん、音符の長さもできる限り正確に歌いたいと思っていました。

——さきほどもお話しましたが、海外では1stアルバム『OCEAN SIDE』、3rdアルバム『ADVENTURE』の楽曲が非常によく聴かれています。この2作については、どんな思い出がありますか?

菊池:私も若かったですし、聴いてくださる方々も少年少女だったんですけど、「ファンの方々が大人になっても、そばに置いておける音楽を作ろう」という思いをスタッフ全員が共有していました。楽曲もそうだし、レコードのジャケットもそうですけど、アートを意識していて。『OCEAN SIDE』のジャケットもそう。菊池桃子がどんな顔なのかを知ってもらうよりも、「アート作品としてアルバムジャケットを作りたい」ということだったんだと思います。

 アルバム『ADVENTURE』のときもスタッフのみなさんが「良いものを作ろう」と本気になっていました。レコーディングもすごく厳しかったですね。リード曲の「Adventure」は特にプロデューサーのこだわりが強くて、何度も歌い直しました。「今日はダメだね。明日やろう」「今日の桃子も違うから、仕切り直そう」ということが続いて、何百回も歌って……。林先生は本当にお忙しくて、スタジオを掛け持ちしていることが多かったのですが、上手く歌えなくて、泣いているところを見られてしまったこともありました。

——ドラマや映画の撮影、雑誌の取材などで多忙な日々だったと思いますが、レコーディングの時間はしっかり取っていたんですね。

菊池:そうですね。当時は本当に忙しくて(笑)。親からも「長く芸能界にいられると思わず、進学もきちんと考えるように」と言われていたので、学業もしっかりやっていたし、もちろんテレビ番組や雑誌の撮影もあって。そんな状況を不思議にも思わず、「みんなもこういう感じなんだろうな。私もがんばろう」と思っていましたね。

——菊池さんの音楽活動を支えた林哲司さんは、現在も第一線で活躍を続けていらっしゃいます。菊池さんにとってはどんな存在ですか?

菊池:最近またお話する機会が増えているのですが、「あの頃よりも今のほうが作曲の調子がいいんだよ」とおっしゃっていました。すでに何千曲も書いてきて、まだまだ尽きないというのがすごいなと思います。ますますパワフルになっている印象です。

今できる面白いこと、カッコいいことをやってみたい

——オーディオストリーミングサービスで様々な時代の音楽に気軽にアクセスできるようになりましたが、菊池さんご自身はどのように活用されていますか?

菊池:車を運転しながら音楽を聴くのが好きなので、その日の気分によってプレイリストを選んでいます。自分で作ったプレイリストもあるし、周りの仲間から送ってもらったものだったり。仕事を兼ねて、自分の曲でセットリストを作って何回も聴くこともありますね。いろいろと便利に使わせていただいてます。

——若い世代のアーティストの楽曲も聴きますか?

菊池:はい。日本のアーティストが多いんですけど、子どもたちにも教えてもらいながら。一緒にライブに行くこともあるし、楽しませてもらっています。

——新しい音楽からも刺激を受けているんですね。菊池さんの今後の音楽活動も楽しみです。

菊池:ありがとうございます。去年、新曲(「AGAIN」「奇跡のうた」)をリリースさせてもらったのですが、林先生もお元気でいらっしゃるし、私も幸いなことに元気で声も出るので、今できる面白いこと、カッコいいことをやってみたくて。80年代の楽曲を聴いてもらえるのも本当にうれしいのですが、新しい曲も評価していただけるように精一杯やりたいなって。人生は無限ではないし、自分の声が出せるうちにしっかり形として残しておきたいんですよね。


【連載バックナンバー】ストリーミングで出会うマスターピース

【インタビュー連載】ストリーミングで出会うマスターピース 第1回:杉山清貴

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 2020年代以降、世界的なムーブメントとなっているジャパニーズ・シティポップ。その中心的なアーティストの一人が、杉山清貴&オメガトライブの活動でも知られる杉山清貴さんです。 

 Spotifyの月間リスナーは36万人超。国別ではアメリカでもっとも聴かれています。以下、日本、インドネシア、メキシコと続き、世代別では20代のリスナーがもっとも多い。つまり、杉山清貴さんはアメリカのZ世代を中心に、世界中の音楽ファンを獲得していることになります。

 今回のインタビューでは、杉山さんご本人にSpotifyの人気曲10曲をフックにしながら、海外のリスナーが増加している理由、杉山清貴&オメガトライブの名曲に関するエピソード、ストリーミングサービスの利用法などについてお話を伺いました。

今は“古い”・“新しい”という概念もなくなっている

——Spotifyで杉山さんの楽曲を聴いている国別リスナーは、本取材を実施した2023年4月19日時点ではアメリカが1位。以下、日本、インドネシア、メキシコ、カナダと続き、北米、アジアを含めて世界全域で高い支持を得ています。

杉山:うれしいですね。2~3年くらい前から、YouTubeやSNSなどでいろいろな国のリスナーからコメントが届くようになって。なかには全く読めない言語もあるのですが、本当に海外の方に届いているんだなと実感しています。娘はロサンゼルスで暮らしているのですが、「ダディの名前、有名だよ」「オメガトライブ、みんな聴いてる」と言われたこともあるんですよ。

——年齢的には20代にもっとも聴かれています。80年代の楽曲がZ世代にリーチしている状況をどう捉えていますか?

杉山:以前は音楽の流れは10年単位で変わっていた気がするんですよ。70年代と80年代ではまったく流行が違っていたし、我々も常に新しいものを追い求めていて。でも、今は“古い”・“新しい”という概念もなくなっていると思うんです。時代はまったく関係なくて、リスナーにハマれば聴いてもらえるし、好きになってくれるんじゃないかな。僕のライブに若い子が来てくれることもあるんですけど、たぶんストリーミングサービスやYouTubeなどで聴いたんでしょう。今のバンドメンバーも20代、30代が中心なんですが、80年代の音楽を当たり前のように聴いていて。とても話が合います(笑)。

【杉山清貴さんのSpotifyでの人気曲】

1.ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER(杉山清貴&オメガトライブ/5thシングル表題曲)
2.DEAR BREEZE(杉山清貴&オメガトライブ/4thアルバム『ANOTHER SUMMER』収録曲)
3.SUMMER SUSPICION(杉山清貴&オメガトライブ/1stシングル表題曲)
4.Misty Night Cruising(杉山清貴&オメガトライブ/3rdアルバム『NEVER ENDING SUMMER』収録曲)
5.RIVER’S ISLAND(杉山清貴&オメガトライブ/2ndアルバム『RIVER’S ISLAND』収録曲)
6.ガラスのPALM TREE(杉山清貴&オメガトライブ/7thシングル表題曲)
7.MIDNIGHT DOWN TOWN(杉山清貴&オメガトライブ/1stアルバム『AQUA CITY』収録曲)
8.SCRAMBLE CROSS(杉山清貴&オメガトライブ/『ANOTHER SUMMER』収録曲)
9.君のハートはマリンブルー(杉山清貴&オメガトライブ/3rdシングル表題曲)
10.ASPHALT LADY(杉山清貴&オメガトライブ/2ndシングル表題曲)
※2023年4月19日時点

——Spotifyでの人気曲のトップ3は、「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」、「DEAR BREEZE」、「SUMMER SUSPICION」。杉山さんが作曲した「Misty Night Cruising」もそうですが、海外ではグルーヴを感じる曲がよく聴かれています。トップ10の楽曲のうち、ほとんどの曲がアメリカで最も多く聴かれていて、バラードナンバーの「君のハートはマリンブルー」だけがアメリカを日本が上回っています。

杉山:やはり日本のリスナーはバラードが好きなんでしょうね。海外の方がシングル以外の曲をチェックしてくれているのも納得です。日本だとどうしても「ふたりの夏物語」「君のハートはマリンブルー」などの当時ヒットした曲に注目が集まりますが、海外の方はそうではなくて。むしろアルバムに入っているAOR色のある曲、フュージョン的な曲に反応してくれているんだと思います。もちろんすべていい曲だし、こうやってたくさんの人に聴いてもらえる状況は本当にうれしいですね。数あるシティポップのなかでオメガトライブの楽曲を選んでもらえているのは、質の高い音楽をやっていたからこそ。このプロジェクトに参加できてよかったなと改めて感じますね。

——もっとも聴かれている「ふたりの夏物語」は、どのように制作されたんですか?

杉山:じつはまったく覚えていないんです(笑)。僕らはずっとツアーを回っていて、「明後日、東京でレコーディングするから曲を覚えて」という状況だったので。「ふたりの夏物語」はCM(日本航空「JALPAK’85」)の楽曲だったんですが、おそらく作曲の林哲司さん、作詞の康珍化さんはおそらく2~3日で仕上げたんじゃないかな。急ごしらえだったし、僕も林さんもこんなにヒットするとは思っていませんでした。

——オメガトライブには夏のリゾートのイメージもありましたが、それを象徴する楽曲ですよね。

杉山:プロデューサーが海やダイビングが好きだったし、それも一つのテーマだったんだと思います。雑誌『POPEYE』などの影響もあって、アメリカンカジュアルが人気になって。海外旅行も一般的になり、リゾートに対する興味も強まっていたんですよね。麻のスーツとスリッポンが定番のスタイルでした。

——杉山さんが作曲した「Misty Night Cruising」は、電子ドラムの音色、切ないメロディが印象的な楽曲です。

杉山:バンドのメンバーも曲を作っていたんですが、プロデューサーが「イエス」と言わないと採用されなかったので、大変だったんですよ。とにかく使ってもらいたくて、必死で曲を作ってました。「Misty Night Cruising」はたぶん、「こういうテイストの曲を作りたい」という洋楽のモチーフがあったんだと思います。小さいリズムマシーン、4トラックのMTRでデモを作って、アレンジャーに渡して。

——「Misty Night Cruising」の編曲を手がけた松下誠さんのアルバム『FIRST LIGHT』も、シティポップリバイバルから波及して、とても聴かれています。

杉山:そうなんですね。当時のシティポップのサウンドは、フュージョンが基本なんですよ。フュージョンと歌謡の組み合わせが、海外のリスナーや今の若い人たちには新鮮に聴こえるんでしょうね。

海外の人に聴いてもらうという発想がなかったけれど僕らは洋楽をすごく意識していた


——杉山清貴&オメガトライブは、1983年にシングル「SUMMER SUSPICION」でデビュー。タイムレスな楽曲を生み出し続けた背景は、どのようなものだったのでしょうか?

杉山:オメガトライブは、僕らが所属していた事務所の社長(藤田浩一氏)がプロデューサーだったんです。とても音楽が好きな方で、作りたい音楽のビジョンが明確にあったし、それを形にしたのがオメガトライブだったんですよね。林哲司さん、康珍化さんが楽曲を制作して、それを僕らのバンドが形にするというのが基本的なスタイル。オメガトライブのメンバーも、林さん、康さんをリスペクトしていました。

——お二人とも80年代の日本のポップスを代表するクリエイターです。

杉山:そうですね。林哲司さんは「真夜中のドア~Stay With Me」(松原みき)の作曲を手がけていらっしゃるんですが、初めて聴いたときは「これまでの日本のポップスとは違うな」と感じました。洋楽のテイストが強いんですが、メロディには日本人がグッとくる要素がある。それは藤田プロデューサーが求めているものと合致していたんだと思います。康珍化さんの作品を初めて聴いたのは、山下久美子さんの「バスルームから愛をこめて」。僕の高校の同級生が山下さんのバックバンドをやっていた縁で聴いてみたんですけど、素晴らしい歌詞だなと感動しました。林さん、康さんは当時30代前半。僕らも20代だったし、若いクリエイターやミュージシャンが「これがカッコいい」と思う音楽を自由に作れる環境だったんですよね。「聴きたい音楽が日本にない。だから自分たちで作る」という思いもあったし、すごい熱量だったと思います。今はコンピューターで何でもできますけど、当時はそうじゃなくて。いいものを作ろうとしたら、手間もお金もかかるし、人材も必要だったんですよ。

——その条件が揃っていたのが、オメガトライブだったと。今、世界中で日本のシティポップが宝探しのような状態になっているのは、贅沢に作られた質の高い音楽だからだと思います。当時はほとんど国内でしか聴かれていませんでしたが、ストリーミング、SNSの浸透により、海外のリスナーが初めて日本の80’sポップスを発見したといいますか。

杉山:そうでしょうね。当時は海外の人に聴いてもらうという発想がなかったし、せいぜい、アジアの国で海賊盤のレコードが出回っていたくらいなので(笑)。ただ、僕らは洋楽をすごく意識していました。特に70年代後半から80年代にかけては、洋楽の良さ、かっこいい部分をいち早く取り入れようと必死でしたね。10代の頃はウエストコーストのロックを聴いていましたが、ボズ・スキャッグスが登場して、AORが中心になって。とにかく演奏が上手いので、“誰が演奏しているんだろう?”と調べてみるとTOTOのメンバーが参加していたり。携わったプロデューサーについてもチェックしていたし、クレジットを見てレコードを買っていましたね。音楽だけではなく、ファッションなどにも影響を受けました。カーリーヘアをやめて、髪を短くしたりね(笑)。

——杉山清貴&オメガトライブも、鮮やかな色のシャツやスーツでしたね。

杉山:ビジュアルやイメージ戦略も、すべて藤田プロデューサーが決めていたんです。レコードのジャケットにもまったく顔出しをしないで、海やリゾートの風景が映し出されていて。

——Spotifyで公開されているユーザーが作成したシティポップ系のプレイリストのカバー画像も、永井博さん風のイラストが多いです。杉山さんはふだん、ストリーミングサービスをどのように活用していますか?

杉山:70~80年代の曲、自分が聴きたい曲よりも、知らない曲をチェックすることが多いですね。ヒットチャートは自分にはちょっと若すぎるので(笑)、ジャンルを絞って聴いています。ファンクやAOR、アニソンなども聴いています。若いバンドやアーティストにハマることもありますね。時代性やジャンルは関係なく、彼らはありとあらゆる手段を使っていて、僕らにはない発想だし、刺激をもらっています。「自分たちがやっていたことに似ているな」と思うこともありますね。そういえば最近、林哲司さんがGOOD BYE APRILというバンドに曲(「BRAND NEW MEMORY」)を書いたんですよ。当時の音楽に憧れた若い世代とのコラボレーションも増えそうですよね。

——5月10日には『オールタイムベスト』、オリジナルアルバム『FREEDOM』が同時リリース。後者には佐藤準さん、成田忍さんなどの大御所から、シンガーソングライターの松室政哉さんまで幅広い年代の作家陣が参加しており、シティポップの進化型と呼べるような作品に感じられます。

杉山:ありがとうございます。ただ、シティポップを意識していたわけではなくて。自分たちがこれまでやってきたこと、若い世代のミュージシャンの感性が合わさったアルバムになったんじゃないかな。今の若いミュージシャン、すごく上手いんですよ。何でもできるので、助けられています(笑)。