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【インタビュー連載】ストリーミングで出会うマスターピース 第1回:杉山清貴

 2020年代以降、世界的なムーブメントとなっているジャパニーズ・シティポップ。その中心的なアーティストの一人が、杉山清貴&オメガトライブの活動でも知られる杉山清貴さんです。 

 Spotifyの月間リスナーは36万人超。国別ではアメリカでもっとも聴かれています。以下、日本、インドネシア、メキシコと続き、世代別では20代のリスナーがもっとも多い。つまり、杉山清貴さんはアメリカのZ世代を中心に、世界中の音楽ファンを獲得していることになります。

 今回のインタビューでは、杉山さんご本人にSpotifyの人気曲10曲をフックにしながら、海外のリスナーが増加している理由、杉山清貴&オメガトライブの名曲に関するエピソード、ストリーミングサービスの利用法などについてお話を伺いました。

今は“古い”・“新しい”という概念もなくなっている

——Spotifyで杉山さんの楽曲を聴いている国別リスナーは、本取材を実施した2023年4月19日時点ではアメリカが1位。以下、日本、インドネシア、メキシコ、カナダと続き、北米、アジアを含めて世界全域で高い支持を得ています。

杉山:うれしいですね。2~3年くらい前から、YouTubeやSNSなどでいろいろな国のリスナーからコメントが届くようになって。なかには全く読めない言語もあるのですが、本当に海外の方に届いているんだなと実感しています。娘はロサンゼルスで暮らしているのですが、「ダディの名前、有名だよ」「オメガトライブ、みんな聴いてる」と言われたこともあるんですよ。

——年齢的には20代にもっとも聴かれています。80年代の楽曲がZ世代にリーチしている状況をどう捉えていますか?

杉山:以前は音楽の流れは10年単位で変わっていた気がするんですよ。70年代と80年代ではまったく流行が違っていたし、我々も常に新しいものを追い求めていて。でも、今は“古い”・“新しい”という概念もなくなっていると思うんです。時代はまったく関係なくて、リスナーにハマれば聴いてもらえるし、好きになってくれるんじゃないかな。僕のライブに若い子が来てくれることもあるんですけど、たぶんストリーミングサービスやYouTubeなどで聴いたんでしょう。今のバンドメンバーも20代、30代が中心なんですが、80年代の音楽を当たり前のように聴いていて。とても話が合います(笑)。

【杉山清貴さんのSpotifyでの人気曲】

1.ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER(杉山清貴&オメガトライブ/5thシングル表題曲)
2.DEAR BREEZE(杉山清貴&オメガトライブ/4thアルバム『ANOTHER SUMMER』収録曲)
3.SUMMER SUSPICION(杉山清貴&オメガトライブ/1stシングル表題曲)
4.Misty Night Cruising(杉山清貴&オメガトライブ/3rdアルバム『NEVER ENDING SUMMER』収録曲)
5.RIVER’S ISLAND(杉山清貴&オメガトライブ/2ndアルバム『RIVER’S ISLAND』収録曲)
6.ガラスのPALM TREE(杉山清貴&オメガトライブ/7thシングル表題曲)
7.MIDNIGHT DOWN TOWN(杉山清貴&オメガトライブ/1stアルバム『AQUA CITY』収録曲)
8.SCRAMBLE CROSS(杉山清貴&オメガトライブ/『ANOTHER SUMMER』収録曲)
9.君のハートはマリンブルー(杉山清貴&オメガトライブ/3rdシングル表題曲)
10.ASPHALT LADY(杉山清貴&オメガトライブ/2ndシングル表題曲)
※2023年4月19日時点

——Spotifyでの人気曲のトップ3は、「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」、「DEAR BREEZE」、「SUMMER SUSPICION」。杉山さんが作曲した「Misty Night Cruising」もそうですが、海外ではグルーヴを感じる曲がよく聴かれています。トップ10の楽曲のうち、ほとんどの曲がアメリカで最も多く聴かれていて、バラードナンバーの「君のハートはマリンブルー」だけがアメリカを日本が上回っています。

杉山:やはり日本のリスナーはバラードが好きなんでしょうね。海外の方がシングル以外の曲をチェックしてくれているのも納得です。日本だとどうしても「ふたりの夏物語」「君のハートはマリンブルー」などの当時ヒットした曲に注目が集まりますが、海外の方はそうではなくて。むしろアルバムに入っているAOR色のある曲、フュージョン的な曲に反応してくれているんだと思います。もちろんすべていい曲だし、こうやってたくさんの人に聴いてもらえる状況は本当にうれしいですね。数あるシティポップのなかでオメガトライブの楽曲を選んでもらえているのは、質の高い音楽をやっていたからこそ。このプロジェクトに参加できてよかったなと改めて感じますね。

——もっとも聴かれている「ふたりの夏物語」は、どのように制作されたんですか?

杉山:じつはまったく覚えていないんです(笑)。僕らはずっとツアーを回っていて、「明後日、東京でレコーディングするから曲を覚えて」という状況だったので。「ふたりの夏物語」はCM(日本航空「JALPAK’85」)の楽曲だったんですが、おそらく作曲の林哲司さん、作詞の康珍化さんはおそらく2~3日で仕上げたんじゃないかな。急ごしらえだったし、僕も林さんもこんなにヒットするとは思っていませんでした。

——オメガトライブには夏のリゾートのイメージもありましたが、それを象徴する楽曲ですよね。

杉山:プロデューサーが海やダイビングが好きだったし、それも一つのテーマだったんだと思います。雑誌『POPEYE』などの影響もあって、アメリカンカジュアルが人気になって。海外旅行も一般的になり、リゾートに対する興味も強まっていたんですよね。麻のスーツとスリッポンが定番のスタイルでした。

——杉山さんが作曲した「Misty Night Cruising」は、電子ドラムの音色、切ないメロディが印象的な楽曲です。

杉山:バンドのメンバーも曲を作っていたんですが、プロデューサーが「イエス」と言わないと採用されなかったので、大変だったんですよ。とにかく使ってもらいたくて、必死で曲を作ってました。「Misty Night Cruising」はたぶん、「こういうテイストの曲を作りたい」という洋楽のモチーフがあったんだと思います。小さいリズムマシーン、4トラックのMTRでデモを作って、アレンジャーに渡して。

——「Misty Night Cruising」の編曲を手がけた松下誠さんのアルバム『FIRST LIGHT』も、シティポップリバイバルから波及して、とても聴かれています。

杉山:そうなんですね。当時のシティポップのサウンドは、フュージョンが基本なんですよ。フュージョンと歌謡の組み合わせが、海外のリスナーや今の若い人たちには新鮮に聴こえるんでしょうね。

海外の人に聴いてもらうという発想がなかったけれど僕らは洋楽をすごく意識していた


——杉山清貴&オメガトライブは、1983年にシングル「SUMMER SUSPICION」でデビュー。タイムレスな楽曲を生み出し続けた背景は、どのようなものだったのでしょうか?

杉山:オメガトライブは、僕らが所属していた事務所の社長(藤田浩一氏)がプロデューサーだったんです。とても音楽が好きな方で、作りたい音楽のビジョンが明確にあったし、それを形にしたのがオメガトライブだったんですよね。林哲司さん、康珍化さんが楽曲を制作して、それを僕らのバンドが形にするというのが基本的なスタイル。オメガトライブのメンバーも、林さん、康さんをリスペクトしていました。

——お二人とも80年代の日本のポップスを代表するクリエイターです。

杉山:そうですね。林哲司さんは「真夜中のドア~Stay With Me」(松原みき)の作曲を手がけていらっしゃるんですが、初めて聴いたときは「これまでの日本のポップスとは違うな」と感じました。洋楽のテイストが強いんですが、メロディには日本人がグッとくる要素がある。それは藤田プロデューサーが求めているものと合致していたんだと思います。康珍化さんの作品を初めて聴いたのは、山下久美子さんの「バスルームから愛をこめて」。僕の高校の同級生が山下さんのバックバンドをやっていた縁で聴いてみたんですけど、素晴らしい歌詞だなと感動しました。林さん、康さんは当時30代前半。僕らも20代だったし、若いクリエイターやミュージシャンが「これがカッコいい」と思う音楽を自由に作れる環境だったんですよね。「聴きたい音楽が日本にない。だから自分たちで作る」という思いもあったし、すごい熱量だったと思います。今はコンピューターで何でもできますけど、当時はそうじゃなくて。いいものを作ろうとしたら、手間もお金もかかるし、人材も必要だったんですよ。

——その条件が揃っていたのが、オメガトライブだったと。今、世界中で日本のシティポップが宝探しのような状態になっているのは、贅沢に作られた質の高い音楽だからだと思います。当時はほとんど国内でしか聴かれていませんでしたが、ストリーミング、SNSの浸透により、海外のリスナーが初めて日本の80’sポップスを発見したといいますか。

杉山:そうでしょうね。当時は海外の人に聴いてもらうという発想がなかったし、せいぜい、アジアの国で海賊盤のレコードが出回っていたくらいなので(笑)。ただ、僕らは洋楽をすごく意識していました。特に70年代後半から80年代にかけては、洋楽の良さ、かっこいい部分をいち早く取り入れようと必死でしたね。10代の頃はウエストコーストのロックを聴いていましたが、ボズ・スキャッグスが登場して、AORが中心になって。とにかく演奏が上手いので、“誰が演奏しているんだろう?”と調べてみるとTOTOのメンバーが参加していたり。携わったプロデューサーについてもチェックしていたし、クレジットを見てレコードを買っていましたね。音楽だけではなく、ファッションなどにも影響を受けました。カーリーヘアをやめて、髪を短くしたりね(笑)。

——杉山清貴&オメガトライブも、鮮やかな色のシャツやスーツでしたね。

杉山:ビジュアルやイメージ戦略も、すべて藤田プロデューサーが決めていたんです。レコードのジャケットにもまったく顔出しをしないで、海やリゾートの風景が映し出されていて。

——Spotifyで公開されているユーザーが作成したシティポップ系のプレイリストのカバー画像も、永井博さん風のイラストが多いです。杉山さんはふだん、ストリーミングサービスをどのように活用していますか?

杉山:70~80年代の曲、自分が聴きたい曲よりも、知らない曲をチェックすることが多いですね。ヒットチャートは自分にはちょっと若すぎるので(笑)、ジャンルを絞って聴いています。ファンクやAOR、アニソンなども聴いています。若いバンドやアーティストにハマることもありますね。時代性やジャンルは関係なく、彼らはありとあらゆる手段を使っていて、僕らにはない発想だし、刺激をもらっています。「自分たちがやっていたことに似ているな」と思うこともありますね。そういえば最近、林哲司さんがGOOD BYE APRILというバンドに曲(「BRAND NEW MEMORY」)を書いたんですよ。当時の音楽に憧れた若い世代とのコラボレーションも増えそうですよね。

——5月10日には『オールタイムベスト』、オリジナルアルバム『FREEDOM』が同時リリース。後者には佐藤準さん、成田忍さんなどの大御所から、シンガーソングライターの松室政哉さんまで幅広い年代の作家陣が参加しており、シティポップの進化型と呼べるような作品に感じられます。

杉山:ありがとうございます。ただ、シティポップを意識していたわけではなくて。自分たちがこれまでやってきたこと、若い世代のミュージシャンの感性が合わさったアルバムになったんじゃないかな。今の若いミュージシャン、すごく上手いんですよ。何でもできるので、助けられています(笑)。