1984年にシングル「青春のいじわる」で歌手デビューした菊池桃子さん。「雪にかいたLOVE LETTER」「卒業-GRADUATION-」「もう逢えないかもしれない」などのヒット曲を生み出し、80年代を代表するアイドルとして高い人気を得ました。
2021年7月のストリーミング配信後は、シティポップ再評価の潮流とともにアメリカ、中南米、アジアなどでリスナーを獲得。インドネシア出身のシンガーRainychがカバーした「Blind Curve」、Night Tempoがリエディットした「Night Cruising」など、各アルバムに収められた隠れた名曲にも再びスポットが当たっています。
今回のインタビューでは、Spotifyで人気の菊池桃子さんの楽曲10曲を参考にしながら、80年代の楽曲が注目を集めている現状、当時の制作エピソード、シティポップムーブメントに対する思いなどについてご本人に語っていただきました。
【菊池桃子さんのSpotifyでの人気曲】
1.Mystical Composer(3rdアルバム『ADVENTURE』収録)
2.Blind Curve(1stアルバム『OCEAN SIDE』収録)
3.ガラスの草原(12thシングル表題曲)
4.卒業-GRADUATION-(4thシングル表題曲/2ndアルバム『TROPIC of CAPRICORN』収録)
5.Ocean Side(『OCEAN SIDE』収録)
6.Adventure(『ADVENTURE』収録)
7.Night Cruising(『ADVENTURE』収録)
8.もう逢えないかもしれない(6thシングル表題曲/『ADVENTURE』収録)
9.夏色片想い(8thシングル表題曲/『卒業記念 Vol.2』収録)
10.Overture(『ADVENTURE』収録)
※2023年9月時点
思わぬところで耳にした「Mystical Composer」のベースライン
——2021年7月のストリーミング配信以降、菊池さんの楽曲が世界中のリスナーに聴かれています。この状況をどう見ていますか?
菊池:80年代、あの当時に人気だった曲はシングルが多かったんです。ストリーミングでは「もしかしたら日本では、あまり知られていないかもしれないな」というアルバムの収録曲も聴いていただけていることが嬉しいですね。一人ひとりが好みの音楽を探すことができるのは、今の時代ならではだなと感じています。もし80年代にインターネットがあれば、目立たなかった楽曲も評価していただけたのかなと、欲張りなことを考えてしまいますね(笑)。
——国別のリスニングデータを確認したところ、アメリカが突出していて、ブラジルやメキシコなどの中南米でもよく聴かれています。アルバムでは3rdアルバム『ADVENTURE』(1986年)、1stアルバム『OCEAN SIDE』(1984年)の楽曲が特に人気がありますね。
菊池:いちばん人気がある「Mystical Composer」は、印象に残っている出来事があるんです。2年ほど前、大学生の娘が英語学習のテレビ番組を見ていて。そのなかに「SNSの流行りの言葉を使って映画を学ぼう」というコーナーがあったんですが、突然「Mystical Composer」のイントロのベースラインが聴こえてきたんです。14~15歳くらいの男の子がベースを弾きながら「この曲、好きなんだよ」と言っていて。私も大好きなベースラインなのですが、そのとき「え、何が起きているの?」と思いました(笑)。そのくらいの時期から私のInstagramに海外の方からもメッセージがくるようになって。「いい曲ですね」「あなたの声が好きです」という内容なんですが、多くが10代後半から20代半ばくらいの若い方だったんです。その後“シティポップブーム”という文脈で私の音楽を聴いてくれている方がいることを知りました。
——インドネシア出身のシンガーRainychさんが「Blind Curve」をカバー。さらにNight Tempoさんによる菊池さんの楽曲のリエディットも話題を集めました。
菊池:Rainychさんがカバーしてくださったことは、本当に嬉しかったです。シングル曲ではないですし、日本でもあまり知られていない曲を取り上げていただけたことで、「こんな曲もあったんだ」と新しいインパクトとともに受け取ってもらえたんじゃないかなと思います。コンポーザーの林哲司先生も「なんでこの曲?」とすごく驚いていらっしゃいました。Night Tempoさんのリエディットも興味深かったです。母国語が違うNight Tempoさんが歌を素材として使ってくださって、原曲とは違う新しい形にしてくれました。それぞれの楽曲がお化粧直ししたかのようで、すごく面白いなと思っています。
——日本語の響きを活かしたリエディットですよね。
菊池:そうですね。林先生が作ってくださったメロディに日本語を乗せることで、浮遊感が生まれるみたいで。それが海外のリスナーのみなさんの興味を引いているのかもしれないし、シティポップの良さにつながっているのかなと。日本語って神秘的な響きを持っているのかもしれませんね。
当時目指していたのは「ファンの方々が大人になっても、そばに置いておける音楽」
——80年代の菊池さんの音楽活動は、作曲家の林哲司さんの楽曲、事務所の代表だった藤田浩一さんのプロデュースが両軸になっていました。当時の制作状況をどんなふうに捉えていましたか?
菊池:杉山清貴さんと丸ごと同じスタッフでデビューさせていただきました。杉山清貴&オメガトライブはヒット曲を次々に作っていて、本当にカッコいいチームでした。当時はまだ中学生でしたけど、「このなかで歌わせてもらえるんだな」と嬉しく思っていたし、幸せでした。
——最初にレコーディングしたのは「青春のいじわる」なんですか?
菊池:いえ、いちばん最初は他のアーティストの方の楽曲だったと思います。いろいろなタイプの楽曲を歌わせてもらって、どんな声で歌えばいいか、どんなリズムが合うのかを試していたんです。自分としては「高い声を使ったほうがアタックが強く出せるな」と思っていたんですけど、プロデューサーの藤田さんに「それは商売向きの声じゃないね」と言われたんですよ。それで地声に近い声で歌うことになって、最初は「息の成分が入りすぎるし、ちょっと歌いづらいな」と思っていました(笑)。
——楽曲に関してはどんな印象がありましたか?
菊池:とにかくカッコいいなと思ってましたね。私はちょっとオマセな子どもだったというか、4つ年上の兄が好きだった洋楽を一緒に聴いていたんです。あと5歳のときからピアノを習っていて、そのなかに絶対音感みたいなものを鍛えるトレーニングがあって。小学3年生くらいになると、聴こえてくる音の音階が分かるようになってきたんです。そうすると練習している曲以外の曲も弾きたくなって。最初に耳コピしたのが、Eagles「Hotel California」だったんですよ。小3にしては渋いですけど(笑)、そういうカッコいい音楽に憧れていたんでしょうね。だから、林先生に作っていただける曲も、すごくいいなと思っていました。
——林さんの楽曲のどんなところに惹かれていたんでしょうか?
菊池:コード進行、メロディもそうなんですけど、切ないところがいちばん好きなところかもしれないですね。歌っていても気持ちがいいんです。ただ、素晴らしい曲だからこそ、音を外したときにはかなり落ち込みました。「声ってなんて厄介な楽器なんだろう」と思っていましたし、私がロボットで正確に歌えたらどんなにいいのだろうとも思いましたね(笑)。
——リズムの良さも海外のリスナーを惹きつける要因だと思いますが、歌のリズムも意識していましたか?
菊池:とても意識していました。譜面を見て歌っていたのですが、譜面上に譜割りを書いて、音程はもちろん、音符の長さもできる限り正確に歌いたいと思っていました。
——さきほどもお話しましたが、海外では1stアルバム『OCEAN SIDE』、3rdアルバム『ADVENTURE』の楽曲が非常によく聴かれています。この2作については、どんな思い出がありますか?
菊池:私も若かったですし、聴いてくださる方々も少年少女だったんですけど、「ファンの方々が大人になっても、そばに置いておける音楽を作ろう」という思いをスタッフ全員が共有していました。楽曲もそうだし、レコードのジャケットもそうですけど、アートを意識していて。『OCEAN SIDE』のジャケットもそう。菊池桃子がどんな顔なのかを知ってもらうよりも、「アート作品としてアルバムジャケットを作りたい」ということだったんだと思います。
アルバム『ADVENTURE』のときもスタッフのみなさんが「良いものを作ろう」と本気になっていました。レコーディングもすごく厳しかったですね。リード曲の「Adventure」は特にプロデューサーのこだわりが強くて、何度も歌い直しました。「今日はダメだね。明日やろう」「今日の桃子も違うから、仕切り直そう」ということが続いて、何百回も歌って……。林先生は本当にお忙しくて、スタジオを掛け持ちしていることが多かったのですが、上手く歌えなくて、泣いているところを見られてしまったこともありました。
——ドラマや映画の撮影、雑誌の取材などで多忙な日々だったと思いますが、レコーディングの時間はしっかり取っていたんですね。
菊池:そうですね。当時は本当に忙しくて(笑)。親からも「長く芸能界にいられると思わず、進学もきちんと考えるように」と言われていたので、学業もしっかりやっていたし、もちろんテレビ番組や雑誌の撮影もあって。そんな状況を不思議にも思わず、「みんなもこういう感じなんだろうな。私もがんばろう」と思っていましたね。
——菊池さんの音楽活動を支えた林哲司さんは、現在も第一線で活躍を続けていらっしゃいます。菊池さんにとってはどんな存在ですか?
菊池:最近またお話する機会が増えているのですが、「あの頃よりも今のほうが作曲の調子がいいんだよ」とおっしゃっていました。すでに何千曲も書いてきて、まだまだ尽きないというのがすごいなと思います。ますますパワフルになっている印象です。
今できる面白いこと、カッコいいことをやってみたい
——オーディオストリーミングサービスで様々な時代の音楽に気軽にアクセスできるようになりましたが、菊池さんご自身はどのように活用されていますか?
菊池:車を運転しながら音楽を聴くのが好きなので、その日の気分によってプレイリストを選んでいます。自分で作ったプレイリストもあるし、周りの仲間から送ってもらったものだったり。仕事を兼ねて、自分の曲でセットリストを作って何回も聴くこともありますね。いろいろと便利に使わせていただいてます。
——若い世代のアーティストの楽曲も聴きますか?
菊池:はい。日本のアーティストが多いんですけど、子どもたちにも教えてもらいながら。一緒にライブに行くこともあるし、楽しませてもらっています。
——新しい音楽からも刺激を受けているんですね。菊池さんの今後の音楽活動も楽しみです。
菊池:ありがとうございます。去年、新曲(「AGAIN」「奇跡のうた」)をリリースさせてもらったのですが、林先生もお元気でいらっしゃるし、私も幸いなことに元気で声も出るので、今できる面白いこと、カッコいいことをやってみたくて。80年代の楽曲を聴いてもらえるのも本当にうれしいのですが、新しい曲も評価していただけるように精一杯やりたいなって。人生は無限ではないし、自分の声が出せるうちにしっかり形として残しておきたいんですよね。